皮革をめぐる断章

2019年の暮れ、中国の武漢から発生した新型コロナウィルス(COVID-19)はアジアや欧州を経て世界中に拡散、2020年8月現在にいたるも勢いは衰えず依然として世界中で拡散中だ。

 コロナ禍は国々の保健衛生や医療体制の不備をつき急激な経済の落ち込みによって大量の失業者を発生させている。そして従来の産業構造や働き方、生活スタイルにも急激で場合によっては過酷ですらある変更を迫っている。同僚との対面交流が職場から消え、顧客との商慣習の在り方が変更されただけではない。教育の在り方にも変更を迫った。対面による感染を恐れるあまり学校や大学は閉鎖され学生達はオンライン学習へと移行した。人々はスポーツ観戦や劇場での観劇、レストランでの外食やパーティの機会からもすっかり遠ざかってしまったように思われる。

 コロナ禍は既に存在していた社会の亀裂をも浮き上がらせた。エスニシティや人種といった社会的階層区分に連動して存在していた貧富の差が先鋭化し、米国では激しいプロテストと暴動にも発展した。

 グローバルに顧客を拡大してきたラグジュアリー産業もコロナ禍で大きな打撃を受けている。空港の免税店や高級ホテルのアーケイド、ショッピングモールなどから人が消えた。ショッピングを楽しむ高額消費者に照準をあわせてきたラグジュアリー産業は大打撃をうけている。

 本書で扱うことになる皮革は有名ブランドにとって多くの場合「顔」になるような重点商品だ。だがこれらの高級皮革商品は派手な宣伝で飾りたてられ富裕層が買い求めているだけの単なる「あだ花」ではない。これらの高級な「グローバル商品」をつくり販売するにはやはりグローバルなネットワークが存在し、そこにかかわる多くの人々がそれによって生活の糧をえている。途上国と先進国がネットワークで密接につながることで生まれる製品であることにはかわりない。そのためには工場を回し、従業員を雇い続け、給料を支払い続けなければならない。

 これらの有名ブランドの皮革部門はコロナ禍に打ちひしがれ手をこまぬいてブランドの「死」を待っているのだろうか。あるいはセールスの落ち込みにもめげず何らかの打開策を考えているのだろうか。そしてコロナ禍を抜けたその先にはグローバルなファッション産業や皮革産業にはなにがまちかまえているのだろうか。それを聞いてみたくなって皮革産業の専門家をウェブ会議に呼び出してみた。

 繋いだ先はロンドン郊外の小さな町に住むノースハンプトン大学のレッドウッド教授の自宅だ。モニターごしながら互いの姿に再会を喜びあったのもつかの間、教授の笑顔はすぐに消え悲し気な表情にかわる。コロナ禍の隔離政策のせいで子供や孫に会えないのがつらいという。英国ではコロナ禍の影響で職を失った若い世代が周囲にあふれている。ITエンジニアや航空関係などかつては高給をとっていた人々もそのなかにいる。彼の子供や孫たちの仕事は大丈夫なのだろうか。ふとそんな思いが脳裏をよぎった。

 英国の経済は8月時点で前年比では24%余りも縮小した。これは戦後最大の経済の落ち込みといってよい。金融街で有名なシティーをとらえた写真をみると、マスクをつけたスーツ姿の男性たちが行きかっているものの人影はまばらだ。観光客でごったがえすはずのオックスフォードストリートも平時の賑わいからはほど遠い。

 レッドウッド教授によれば、これから10年あまりは欧米のラグジュアリー・マーケットの復活は見込めないだろうという。EU圏ではドイツを中心に経済の歯車が回りはじめた。だが生産しているのは若い消費者層にむけた安い価格帯のものだ。イタリア、スペインでも同様だ。高額なラグジュアリー・アイテムの代わり、欧州ではしばらくは手ごろなものが売れるだろう。

 欧米の富裕層は4000万人ほどだが、その大半が60代以降の高齢者層だ。教授によると、この富裕層も今のところラグジュアリー・アイテムに財を費やす余裕がなくなっている。仕事を失った子供や孫世代の生活を支えるために資金援助せざるをえないからだ。欧米が望み薄だとすると、これからのラグジュアリー産業はどこにターゲットを絞るのだろうか。

「答えは東だ。」と教授は即答する。中国がラグジュアリー・マーケットの牽引車になるだろう。やはり人口が多くその分富裕層も欧州よりは多い。そして日本や台湾、東南アジアが続くだろう。比較的コロナ禍での痛手が少なかったところを中心にラグジュアリーマーケットの売り上げを取り戻していけるかもしれない。レッドウッド教授はそう予測する。 

 だがかつてよりマーケット回復の道のりは長くなる。「新しい傾向として、若い世代はあまり知られていなかった地域限定のブランドを発掘して買い求めてゆくだろう。それが起爆剤になるかもしれない。」

 教授によれば、「だからこそ日本の中小の皮革メーカーには十分チャンスがある」というのだが、私は首をかしげるばかりだ。私の目からみると日本の皮革メーカーはインターネットでの売り込みが下手だし海外のマーケットにはほとんどでてゆくこともなかったからだ。

 だが今日人々はますますインターネットを媒介としたショッピングに流れている。有名ブランドはオンラインでファッションショーを行う形式になったしそれぞれのウェブサイトはシーズンごとに刷新されみるからに美しく印象的だ。おそらくインターネット上で比較的知られていないブランドの良さを発見した若い女性たちもインターネットサーフィンを続けるうちに魅力的なサイトに出会い、そこで気に入ったモノとであったに違いない。教授は若い中国系の女性たちがインスタグラムなどで自分が発掘した中小ブランドの革製品を自慢している記事を送ってくれた。高値の華ほど高額ではないが、しっかりした製品のようだ。作り手の思いが伝わり、長期間それを愛用することを想定し、アフターケアのサービスも充実しているのだろう。自分のモノとして愛着を込めて語られる製品を「ぜいたく品」とする。そんな消費行動がコロナ禍の時代からポストコロナ時代へと抜ける出口をつくってゆくのかもしれない。

 コロナ禍前とコロナ禍後の世界は当然つながっている。人々が思う「ぜいたく」という概念をつきつめてゆくとそこには一貫性がある。モノでもコトでもいいが、人は単に消費するにとどまらず、そこに自分の一部を付け加えることを好む。自分だけの印をつけて個人的なものにしようとするとき人は創造性を発揮し、「ぜいたくな」気分になる。モノではなくコト消費であれば、自分の知識によってあらたな知識や経験を得ることが喜びと満足感を与える。

 得られたものを長持ちさせるためにはメインテナンスが必要だ。それは何種類、何層もの専門家や職人によって守られるネットワークを必要とするだろう。たとえ靴一足でも「ぜいたく品」となればさまざまな経済活動を呼び起こすことが出来る。たとえば東京では靴磨きのコンペまであり、完成された靴を磨き込むことによって靴のよさを引き出す技術が競われる。靴はだれがどんな磨き方をするかによってまったく違う製品になるというのだ。

 本書ではグローバルファッション産業の「いま」を皮革産業を中心にすえながら通事的に考察し、ファッション産業と結びついた皮革産業の近未来を考えてみたい。近未来を見通すにはそれまで人々がつくりあげてきた軌跡を振り返り、そのなかでなにが起こってきたかをみてゆかねばならない。ポストコロナ時代には行き過ぎたグローバル化への反省のもとにグローカル化、つまりグローバル化とローカリズムを組み合わせた複眼的なスタンスがますます強まってゆくだろう。そのなかで皮革産業はどのように「ブランド力」を強めてゆくことができるのだろうか。これを考えるために、本書のストーリーは直近の2019年から過去の世界へとたどってゆくことになる。

>>> 革の魔力はどこからくるか