「ジェネウス・ロキ」とクラフツマンシップ

ファッションに必要とされる「異形」のパワー、そしてクラフツマンシップ

 歴史をふりかえってみると、カウンターカルチャーをつくりだすパワーはつねに社会の周縁にいる人びとがつくりだしてきたことに気づかされる。皮革と結びついてきた人々もそんな異端性をもってメインストリームに切り込んできた歴史と伝統がある。異端性からでた発想がデザイン性や意匠に表現されるとすれば、もうひとつ重要なのがその意匠を支える技術、クラフツマンシップ(職人技)だ。

 舞伎や能はそもそも被差別集団によって担われていた芸能だ。異形のパワーは庶民や侍を虜にした。能役者の観阿弥や世阿弥は日本文化のなかに「幽玄」という他界をつくりだした。日本の美術にも芸能にも被差別集団の人々が培ってきた文化が色濃く存在している。

 元来被差別集団の人々は自然と文化を行き来できる能力ゆえに恐れられていた。大胆に自然をとりいれた枯山水の庭をつくる庭師もかつては被差別部落の職人でなければならなかったし、自然を文化におきかえる大がかりな仕事を必要とする「革」自体、被差別集団の皮田の人々でなければつくれないとされていた。社会の周縁に位置しているアフリカンアメリカンやヒスパニックもそのマージナル性によってアメリカのサブカルチャーをダイナミックにつくりあげてきたという共通点がある。

「自然」からやってきた革はたとえ加工され、「文化」の一部となってもワイルドだ。死してなお皮革は強いメッセージ性をもって人々に訴えかける。古くてもよい革をつかったジャンパーやパンツ、バッグなどはラッパーたちが好んで使うファッションアイテムだ。別の意味での異形性としてLGBTがあげられるが、彼らはファッション界には欠かせない貢献をしている。サンローラン、ラルフローレン、ヴェルサーチ、ディオールなどクイア・コミュニティ出身のデザイナーは枚挙にいとまがない。ヴェルサーチにいたっては家が貧しく赤線地帯近かったせいで売春婦たちと日常的に交流していたというほど「マイノリティ集団」そのものの背景をもつ。

破産寸前だったグッチを1990年代に立て直し、今日のように若者に圧倒的な人気のある高級ブランドに仕立てたのはトム・フォードだが、彼もゲイだ。「異形性」を付与されてきた集団には霊力が宿るだけではない。職人性(クラフツマンシップ)という技能も必要だ。ラグジュアリーアイテムをつくるには、意匠に宿るダイナミズムだけでなく職人の技も必要とされている。

革づくりに必要とされる職人の技

皮革の魅力のひとつは耐久性にある。丁寧につくられたものであればあるほど歴史を積み重ね、その価値は一層高まる。愛着の一枚として100年を超えて生き続け親から子へと受け渡しができる。そんな皮革はアイデンティティーをもち、所有者が変わっても「ブランド」として生き続ける。

職人を育てるには場所が必要だ。職人が生きる「風土」なくしてインターネット世代に職人性を訴えかけることはできない。

皮革づくりの伝統をもつ職人を育ててきた地域は日本にもある。西日本では兵庫県や奈良県、東日本では東京だ。だが、これらの土地が21世紀にも皮革産地として生き残れるかはさだかではない。ブランドとして世界に発信できる地域のストーリーがありながら海外への発信力がいまひとつ弱いからだ。だが発信力をもつ皮革ブランドがまったくないわけではない。海外にもアピールできる日本の皮革メーカーのひとつが印伝屋伝七だ。

「印伝屋」ストーリー

日本を代表する老舗の鹿革屋として16世紀末から甲州街道ぞいに店を構えていたのが印伝屋だ。グッチやディオール、ダンヒルなど、海外の有名ブランドからもコラボレーションの申し込みが絶えない。ハローキティともコラボレートしたことがあるという。インターネットでの限定発売だったが、発売からわずか数分で売り切れてしまった。それをまのあたりにして、すさまじいインターネットの力に息をのんだと印伝屋の広報担当で取締役の出澤さんはいう。

 だがどんなにすさまじい購買力に接しても、それは一時のことだと割り切って手綱を緩めない。海外の有名ブランドとコラボレートするときでも一年に限定している。その1年は研究の一年でもある。成功している高級ブランドがもつ販売戦略や経験を一緒のプロジェクトをしながら実際に学ぶチャンスだ。一緒につくる作品が新しいヒントをつくりだし、将来独自のデザインを展開してゆくことにもなる。

 相手とは平等な関係でなければならない。アイデアをだすには平等な立場であることが必須だ。コラボレーションを持ち込んでくるのはこちらの過去の実績をみて利益があると判断するからだ。日本のマーケットのなかでの実績と独自性がなければ話は進まない。

印伝は日本で400年にわたって販売を維持してきた鹿皮製品のメーカーだ。顧客には数世代にわたって印伝を愛用している人々もいる。職人たちはすべて生え抜きでパートタイムも派遣労働者もいない。工場は世界基準のISOをクリアーしている。従業員の給料をはじめとする待遇についてもコラボレーションをする相手は詳しく調査して信頼にたる一流企業かどうかをみる。それらの条件が整っていなければ欧米では売ることができないからだ。

だが労働形態については海外の有名企業より進んでいる面もあると出澤さんは胸をはる。「職人優先」の終身雇用システムで、定年がない。働きたい年まで働ける。職人がひとり職場を去ってはじめて彼の代わりが募集される。ひとりひとりがかけがえのない専門家という位置づけだ。週五日制で残業はなく、一日8時間労働。給料も他社に引き抜かれないだけのレベルを守る。

相応な待遇をえることで職人は残り、その技術は守られるが、他方企業としても職人にノウハウのすべてを渡してはならない。企業秘密で守らねばならないことは四百年にわたって家父長制のもとで守られている。入社して働きはじめると、ひとつの領域が決められ、職人はそこでしか働けない。工程はいくつもに分かれているがすべての工程を知りえるのは印伝屋の代々の家長ひとりだけだ。

こんな「家父長制」は時代おくれのようにもみえるのだが、利点もある。家長が決めれば即決で、ものごとが早く動く。雇われ社長のように首がどんどんすげかわることはないから企業としての戦略には一貫性がでてくるし企業機密の保持も楽だ。

だがこの体制で職人に十分な給与を払い続けるには付加価値をつけた製品開発が必要だからマーケットリサーチが不可欠だ。

印伝では毎年のトレンドを知るためニューヨークで毎年展示会を開く。バイヤーを集め、商品を披露するだけでなくシーズンごとのトレンドを分析する専門員も雇っている。これらの努力は海外でセールスを展開するためではなくあくまでも日本市場を保持するためだ。日本のマーケットで新しさを保持しつづけるためにこそ海外での情報収集が大事なのだ。

出澤さんは高級ブランドをつくりあげる「歴史」の価値にも注目した。エルメスやルイヴィトン、グッチはそれぞれ自前の博物館をもっている。印伝も高級ブランドとして自前の博物館が必要だ。「長年印伝の博物館をオープンするのが夢でした」こう出澤さんはいって印伝の本店の上にある博物館の入り口を示した。16世紀からの鹿革製品をみずから収集し、人々の生活が分かるような皮革製品や道具類が展示されている。鹿革がどれほど人々の生活に密着した存在だったのかが分かる仕組みだ。

甲州の歴史とともに発展した印伝屋のルーツを探るため、県庁や地元の大学がおこなう歴史研究プロジェクトにも参加する。地域とともに発展してきた印伝屋の過去に繋がる広い視点が得られるからだ。小中学生の参観も積極的に受け入れ、職人たちの仕事ぶりを観察させる。参観した子供たちが自然に印伝に親しんで将来はお客様になってくれるかもしれない。文化的な素養を与えるだけでなく長い目でみたお得意様づくりでもある。

長期戦略にもとづいてコミュニティと連携することがブランド力を育てる。東海道中膝栗毛に「印伝屋の巾着」がでてきたり、「東京の三社祭で神輿を担いでいる方が祖父の代から使われている印伝屋の巾着の紐が切れたからとお持ちになります」といえるのは誇らしいことだ。

ジェネウス・ロキを育てる

印伝の屋号は東南アジアを経由してインドから伝わった文様からはじまったという。その文様を漆で鹿革の上に飾りをほどこしたものが印伝屋の売りだ。漆は装飾性だけでなく革そのものを長持ちさせる効果もある。ひとつの革小物が何代にもわたって継承されることもある。修理にやってきたついでに新しいものにも興味を示し、買ってくれることにもつながる。「印伝屋とのつながりの歴史」が家族で共有される。

息の長い商売には広告代理店などを雇った派手な広告は害になる。一時的に売り上げが伸びると生産体制を拡大しなければならないが、それが終わった頃にはフィーバーは過ぎてしまっている。一時は売上げが伸びてもそのあとで下がってしまうから、長期戦略はとることができない。そんな波のあるビジネスをしてはいけないというのが「家訓です」と出澤さんはいう。だが向こうから声をかけてきて紹介のビデオをとってくれたりするのは大歓迎だ。情報はいくらでも提供する。数百年を生き抜いてきたという一族の伝統があってこその息の長い戦略は深慮遠謀だ。

出澤さんは日本の皮革産業が生き残る道は文化戦略でもあるとも考えている。宿場町だった土地の歴史を掘り起こし、その精神を生き返らせる。地域を振興させれば皆が潤うだけでなく結局印伝のためになってかえってくる。日本の皮革産業でも同様だ。周辺産業を盛り立てて土地を活性化しなければならない。地域の博物館をつくるのも重要だ。日本の皮革づくりをよみがえらせるには博物館や大学の研究科の設置も必要だ。要するに目先の利益にとらわれない長期的な戦略こそが長い目でみて安定した利益につながるのだ。

出澤さんの話を聞きながらサンタクローチェの天然なめし協会が毎年おこなっているプロジェクトを思い出した。サンタクローチェでは天然なめし革をつかった新進デザイナー発掘のコンテストを開催している。

世界中の主要都市のデザイナーの卵たちに呼びかけて自費でサンタクローチェにやってきてもらい、そのかわり滞在費は無料にするのだ。一週間かけて天然なめしについての講習をする。革をつくる現場をみせ、革とまちの歴史についても理解してもらう。そのあとでなめし革を渡し、故国に帰って自由に作品をつくってもらい、送ってもらう。天然なめし協会が作品を集めてコンテストを開く。若いデザイナーたちの作品は天然なめし協会のセミナーとともに世界の主要都市を回り、展示され、集まったメディア関係者やデザインを勉強している学生達、皮革製品の販売業者たちが手に取って見る。革をつくる人びとと、革の製品をデザインする若い人々がモノを通じて交流するなかで双方が多くを学ぶことができ、タンニン鞣しの革についての理解も深まる。

日本でも皮革展や東京ファッションウィークなどでは若手のデザイナー発掘のためのコンテストは毎年おこなわれている。だがこのようにじっくりとセミナーとともに双方向の教育機会を加味したものにはなっていない。海外のデザイナーや靴職人の卵にどうやって日本の革のユニークさを説明できるというのだろうか。

皮革文化を研究する大学院コースもあればいいのに、と私なりのアイデアを述べてみた。出澤さんは大いに賛成してくれたが、同時に厳しい事実を付け加えることを忘れなかった。「日本の皮革業界は存亡の危機にたたされています。やるなら早くしないと間に合わない。すでに日本の皮革の伝統もビジネスも失われつつあるのです。」

たしかにクラフツマンシップがもつ持続性はサービスによって支えられている。サービスは付加価値を生み、商品に対する所有者の愛着をつくりだす。

サーヴィスとは何か

日本は2018年にEUとの貿易を促進するEPA(経済連携協定)に署名した。EUからの関税がいずれほとんどの製品から取り払われてゆく互恵貿易協定だ。消費者にとっても生産者にとっても互恵的な貿易協定で、日本でもチーズやワインが安くなると消費者は歓迎ムードだ。しかしそうなるとイタリアやポルトガル、スペインなどから革がどんどんはいってくる。革の本場からの輸入品にかかる関税が低くなり、ついにはゼロに近くなってゆくからだ。有望なマーケットである日本に一層の売り込みをかけてくるだろう。

「日本は私たちの革を理解してくれる。ひたすら安さを求め、少しでも値段を下げようとするところが多いなかで、品質や歴史というストーリーが重要だということを理解している。じっくり話をきいてくれ、満足すると買い続けてくれる。私たちは長年一緒に苦労して開発してゆく自信がある。それがサーヴィスというものだ。」

日本では「サーヴィス」というとき、百貨店の販売員のように客に対するていねいな扱いや礼儀正しさ、あるいは値段をさげることだというふうに理解しがちだ。だが、イタリアの皮革業者たちのいうサービスは異なる。「顧客のニーズを聞き、一緒に考え、必要な情報を提供すること」だ。安くすることではない。安くしてスタッフの給料や提供できるモノの品質をカットするならどこかにしわ寄せがきてしまう。それより必要なのは情報だ。一緒に次の製品を考えたりする共同作業だ。それには日ごろから情報を増やし流行にも敏感でければならない。負担はそれなりにある。いつも情報集積のただなかにいることは生易しいものではない。だがさまざまなレベルでのネットワークを強化し情報の先端にいることはサービスを提供する側にもためになる。成長できるからだ。

「信頼」がつくりあげる「革の道」

皮革ビジネスには保守的な人々が多いとスタール社のコステロ氏はいう。「私たちは実にいろんな種類の会社とつきあいがあります。自動車産業から国の汚染物リサイクル事業、河川の再生化事業に取り組むこともあります。顧客もいろいろですが、もっとも顧客の企業と結びつきが強いのは皮革関連の担当者です。長く担当するのであたかも顧客の会社の社員にみえるほどです。それが皮革産業の特徴なのです。」

いったん関係を築くとその関係をつかった「革の道」は容易に崩れない。それを活用して新たな道を足していく方が利にかなっている。「担当者はほとんど移動せず、定年までずっと皮革部門ですごします。顧客の会社の一員としていっしょに考え製品を開発し続けていくのです。伝統的な「信頼」という価値観で動いている。これはわが社のスタンスでもあります。」

 日本の革づくりの人びとがずっと大事にしてきた「信頼」という価値は、今でもグローバルなビジネス界に生きている。おそらくポストコロナ時代には信頼によるネットワークはより多地点をつなぐ中規模小規模のつながりを重視するにちがいない。安い商品ばかりを要求すれば自然に大量生産できる大工場をグローバルにもつ大企業が有利だ。だが、その注文にこたえる相手は疲弊する。先進国のブランドに特化したばっかりにコロナ災害のなかで首を切られ、工場閉鎖に追い込まれた途上国のなめし工場は数多い。膨大な失業者を産めば膨大な市場も失われる。

 だが、必ずしも大きなマーケットを狙うわけではない中規模のブランドでやっていくことが可能になれば、職人は育つ。消費者が小さなブランドの価値を認め、それを維持してゆくことに満足する可能性もある。旅行して手にとる商品が「普通より少し高いがクオリティが高く、修理してもらえる職人が自分の国にもいる」としたらどうだろうか。チープなものをたくさん買うよりよく考えて買ったちょっと値がはるもののほうがよほど購入者にとっての「自分のブランドづくり」となるはずだ。

 ラグジュアリーブランドを支えてきた皮革の担当者たちは、信頼によってネットワークを構築してゆく先にファッションがあるという。だが、日本の皮革づくりの人々にとってもうひとつの課題がある。

 このようなグローバルな「信頼」のネットワークにはいれるだろうかということだ。少なくとも若いデザイナーたちには志があるように見える。靴のデザイナーがイタリアやフランスの革づくりメーカーと共同で作品をつくり、イタリアなどの見本市に出品している例がいくつもみられる。ポストコロナ時代のグローバル化はおそらく多面的な協働を迫られるだろう。国内のメーカーだけの製品が国内で消費され、さらに国内のメーカーと海外のメーカーが強みを生かした共同作業によってラグジュアリー・アイテムをつくりあげることもできる。だが必ずしもそのアイテムはどこででも手にはいるものとはいえなくなるだろう。それでこそ「ラグジュアリーなアイテム」となり、「希少なブランド」となるからだ。日本の産業はその信頼のネットワークのなかになにかを付け加えることができるだろうか。それがポストコロナ時代で試されるのかもしれない。 (©2020西村祐子)

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